「経済の安全保障」のためのイノベーション

「経済の安全保障」のためのイノベーション

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第6回は、「経済の安全保障」のためのイノベーションについてお伝えします。「安全保障」と聞くと軍事や国防を連想しがちですが、賢慮の学校では、「経済の安全保障」「食の安全保障」「エネルギーの安全保障」「人間の安全保障」「次世代の安全保障」「グローバルの安全保障」…と、分野別に安全保障について論じていきます。多様な分野を知ることで、多重視点を身につけていきます。現在、多くのイノベーションは“well-being(ウェルビーイング)”という視点で進められていますが、根本の安全や生命の安全があってこそのwell-being(ウェルビーイング)です。安全保障なくして、well-being(ウェルビーイング)もhappiness(ハピネス)もありません。賢慮の学校は空想的well-being(ウェルビーイング)ではなく、実態の伴うwell-being(ウェルビーイング)を目指したいと思います。

経済安全保障とは

経済安全保障とは、経済活動を維持する観点から、エネルギーや資源、食料などの安定供給を確保するための措置を講じることです。また、国家や国民の安全を害する行為を未然に防止するための経済施策も含まれます。経済安全保障は、国際情勢の複雑化や社会経済構造の変化に対応するために重要な課題です。

日本では、2021年10月に岸田政権が発足し、経済安全保障担当大臣が新設されました。2022年5月には、経済安全保障推進法が成立しています。この法律は、重要物資の安定供給や基幹インフラ役務の安定提供、先端的な重要技術の開発支援など、経済安全保障に関するさまざまな制度を創設するものです。2023年から段階的に施行され、以下の4つの制度を創設します。

重要物資の安定的な供給の確保:
半導体や蓄電池など、戦略的に重要な物資について、政府が指定し、事業者が計画に基づいて供給網を強化する取り組みを支援します。

基幹インフラ役務の安定的な提供の確保:
電力や通信など、基幹インフラの重要設備が外部からの妨害行為によって使われることを防ぐため、設備の導入や維持管理などの委託に事前審査を行います。

先端的な重要技術の開発支援:
クラウドプログラムや人工知能など、先端的な技術分野において、官民協力で研究開発を促進し、その成果を適切に活用するための支援を行います。

特許出願の非公開:
特許出願に関する情報が公開されることで、外部からの行為によって国家や国民の安全が損なわれるおそれが大きい発明について、特例として出願公開をしない制度を設けます。

以上が経済安全保障推進法の概要です。この法律は、経済的な手段で自らを守るとともに、他国に対して影響力を与えることができるものです。経済安全保障は、軍事的な手段だけではなく、外交や安全保障の重要な部分を成すものです。経済安全保障は、国家や国民の生存や発展に欠かせないものであり、well-being(ウェルビーイング)の前提でもあります。

出典:経済安全保障推進法 – 内閣府 (cao.go.jp)

経済安全保障の本質とは

経済安全保障の本質とは何でしょうか。経済安全保障は、国家や社会が経済的な危機や攻撃に対して自立的に対処できる能力のことです。経済安全保障を確保するためには、国内外のサプライチェーン(生産・流通・消費のネットワーク)を強靭にすることが重要でしょう。

サプライチェーンは、自然災害や感染症、テロや戦争、サイバー攻撃などのさまざまなリスクに晒されています。これらのリスクが発生した場合、サプライチェーンが途絶えると、物資やサービスの供給が滞り、経済活動や社会生活に深刻な影響を及ぼします。例えば、2020年に発生したコロナパンデミックは、後述のとおり世界中のサプライチェーンに大きな打撃を与えました。特に、医療用品や食料品などの重要な物資の不足や価格高騰が問題となりました。

このような危機に対応するためには、サプライチェーンを多様化し、自国内で必要な物資や技術を確保することが求められます。しかし、グローバル化の進展により、サプライチェーンは国境を越えて複雑化し、一国だけで完結させることは困難です。また、サプライチェーンは経済的な利益だけでなく、政治的・軍事的・文化的な影響力も伴います。したがって、サプライチェーンを管理することは、国際関係や地域安全保障にも関わる重要な課題です。

この課題に取り組むための学問が「地経学」でしょう。地経学とは、「地政学」と「経済学」を統合した新しい分野であり、「地理的・歴史的・文化的な要因」と「市場・貿易・金融・技術などの経済的要因」を総合的に分析し、「国家や企業がどのようにサプライチェーンを構築・維持・変革すべきか」を探求する学問です。

地経学では、「地域別」「産業別」「技術別」の3つの視点からサプライチェーンを分析します。「地域別」では、アジア、欧州、アメリカ、アフリカ、中東などの地域ごとにサプライチェーンの特徴や課題を考察します。「産業別」では、エネルギー、食料、医療、防衛、デジタルなどの産業ごとにサプラーチェーンの構造や動向を分析します。「技術別」では、AI、バイオ、サイバー、宇宙、量子などの技術ごとにサプラーチェーンの影響や可能性を探ります。

地経学の知識を活用することで、経済安全保障の本質を理解し、危機に対応する能力を高めることができます。地経学は、国家や企業だけでなく、個人や市民にとっても有用な学問です。私たちは、自分たちの生活に関わるサプライチェーンを知り、それを支える人々や環境に感謝し、それを守るために何ができるかを考える必要があります。地経学は、私たちに「サプライチェーンの市民」としての責任と役割を教えてくれます。地政学とイノベーションについては、別稿で詳しく触れていきたいと思います。

経済の安全保障における脅威

コロナパンデミック、ウクライナ危機、米中摩擦などによって、経済の安全保障に関する問題が生じています。これらの問題は、国民生活や産業活動に不利益をもたらしていると言えます。それぞれの問題は、経済活動にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。

コロナパンデミック:
コロナパンデミックは世界的な感染拡大により、各国でロックダウンや移動制限などの措置がとられました。これにより、国際貿易や物流が大きく減少し、サプライチェーン(供給連鎖)が混乱しました。特に、自動車や電子機器などの製造業は半導体や部品の不足に苦しみ、生産や出荷が停滞しました。また、医療用品や食料品などの必需品も供給不足や価格高騰に見舞われました。

コロナパンデミックはまた、技術の流出にも影響を与えています。例えば、日本では医療機器や薬品などの製造に必要な技術や知財が海外に流出する恐れが指摘されました。

日本経済新聞の記事によると、コロナパンデミックによって医療機器や薬品の需要が高まり、国内外の企業や研究機関が競争を激化させています。その中で、日本の医療機器や薬品の製造に必要な技術や知財が、海外の企業や研究機関に流出する可能性があると指摘されています。例えば、日本で開発されたPCR検査キットやワクチンなどの技術や知財が、中国や韓国などの企業や研究機関に不正に入手されたり、模倣されたりする恐れがあるということです。

また、Forbes JAPANの記事によると、コロナパンデミックによってテレワークやオンライン会議などの需要が高まり、企業の情報セキュリティが弱まっています。その中で、日本企業の技術情報や営業秘密が、サイバー攻撃や内部者によって海外に流出する可能性があると指摘されています。例えば、日本企業の従業員が自宅で仕事をする際に、個人用のパソコンやスマートフォンを使ったり、不正なメールを開いたりすることで、技術情報や営業秘密が漏洩したり、改ざんされたりする恐れがあるということです。

情報セキュリティ、サイバーセキュリティは経済の安全保障においても重要な課題です。特に、IOTの普及や企業・日常生活におけるDXの進展でさまざまなリスクが高まっており、インフラに対する脅威への対応が欠かせません。サイバーセキュリティの安全保障については、別稿で詳しく触れたいと思います。

ウクライナ危機:
ウクライナ危機は、ロシアと欧米諸国との間で対立が深まっています。この対立は、世界的な安全保障やエネルギー供給に影響を及ぼす可能性があります。この問題はまた、原子力技術の流出にも影響を与える恐れがあります。ウクライナは欧州最大の原子力発電所であるザポリージャ原子力発電所に米国製の原子力技術を導入しています。しかし、もしロシアがこの発電所を占領した場合、米国の機微に触れる技術がロシアに流出する危険性があります。米国はこの事態を防ぐために、ロシアに対してこの技術の入手などを控えるよう警告しています。

ウクライナ危機は、日本にとっても無関係ではありません。日本はロシアとエネルギー分野で一面で協力関係にあります。例えば、日本はロシアのサハリン2プロジェクトに参加しており、天然ガス(LNG)の供給を受けています。ウクライナ危機に際してもこの点でロシアとの関係維持に動きました。また、日本はウクライナのチェルノブイリ原発事故の被害者支援や廃炉作業などにも協力しており、原子力安全や放射能対策などの分野で技術や経験を共有しています。しかし、ウクライナ危機が悪化すれば、この協力関係にも影響が出る可能性があります。

ウクライナ危機は、また、エネルギー価格にも影響を与えています。ウクライナはロシアから欧州への天然ガスの主要なトランジット国です。しかし、ロシアはウクライナとの紛争を背景に、北方ルート2という新しいパイプラインを建設しており、ウクライナを迂回して欧州への天然ガス供給を強化しようとしています。これにより、ウクライナは天然ガス収入や交渉力を失う可能性があります。また、欧州はロシアによるエネルギー供給の独占や政治的圧力を受ける可能性があります。さらに、北方ルート2は環境問題や安全保障問題なども引き起こす可能性があります。

日本はエネルギー価格の変動に敏感です。特に、原油やLNGなどの輸入依存度が高いためです。日本はエネルギー価格の高騰や供給不安定化に備えて、多様な調達先や輸送ルートの確保や在庫の増強などの対策をとっています。しかし、ウクライナ危機が悪化すれば、エネルギー市場全体に影響が及び、日本のエネルギー安全保障にも悪影響を及ぼす可能性があります。

米中摩擦:
米中摩擦は貿易戦争から始まり、人権問題や台湾問題など多岐にわたって対立が続いています。米国は中国に対して高額の関税を課したり、テクノロジー企業への制限を強化したりしました。中国もこれに対抗して報復措置をとりました。この貿易戦争は世界経済に大きな影響を与えました。特に、ユーロ圏経済は米中両国との貿易が大きな割合を占めるため、貿易量や生産活動が減少し、成長率が低下しました。

米中摩擦はまた、技術の流出にも影響を与えています。例えば、ウクライナでは中国企業が航空機用エンジンの製造会社であるモトール・シーチを買収しようとしています。しかし、この会社はソ連時代に開発された高度な軍事技術を持っており、米国や欧州連合(EU)はこの技術が中国に流出することを懸念しています。ウクライナ政府はこの買収を阻止するために、モトール・シーチの国有化に動いています。

米中摩擦もまた、日本にとっても無関係ではありません。日本は米国と同盟関係にありますが、中国とも経済的なつながりが深い間柄です。米中摩擦が激化すれば、日本もその影響は避けられません。

例えば、日本はオランダとともに、産業のコメといわれ、データ・情報基盤となる半導体をつくるための半導体製造装置の輸出管理強化に動いています。これは、中国が半導体技術の獲得を目指しており、その技術が軍事利用されることを防ぐためです。しかし、この措置は中国からの報復や市場の縮小などのリスクも伴います。

また、日本は福島第一原発の処理水をめぐる課題に直面しています。日本政府は処理水を海洋放出する方針を決めましたが、これに対して中国などの近隣国から反発や批判が起きています。中国はこの問題を利用して日本を非難し、日本から中国へ輸出する魚介類に大きな影響が出ています。

さらに、日本は台湾問題でも微妙な立場にあります。日本は台湾と歴史的なつながりや民主主義的な価値観を共有しており、台湾の安全保障や経済発展に協力的です。しかし、日本は一方で中国と断交しないことを約束した「日中共同声明」に基づいており、台湾を主権国家として承認していません。中国は台湾を自国の一部と主張し、台湾独立や外交関係の樹立に強く反対しています。他方で、台湾はTSMC(半導体受託製造世界最王手)に代表されるように、世界有数の半導体のリーディングカンパニーがあり、様々なリスクを考慮して、米国や日本(熊本)でにも工場の建設計画が進んでいます。もし台湾海峡で軍事衝突が起きた場合、日本は難しい判断を迫られるとともに、サプラーチェーンの構築にも腐心する必要性に迫られています。

このように、米中摩擦は経済や技術だけでなく、政治や安全保障にも影響を及ぼしています。

日本は米中間の緊張緩和や対話促進に努めるとともに、自国の利益や価値観を守ることはもちろん、日本は自国の利益を守るだけでなく、グローバルな視点で適切な対応策や協力体制を構築する必要があります。

出典・参考:
第2節 サプライチェーンリスクと危機からの復旧:通商白書2021年版 (METI/経済産業省)
日本の輸出伸び率が縮小 部品調達難が影響 – BBCニュース
供給網とは コロナやウクライナ危機で混乱 – 日本経済新聞 (nikkei.com)
技術流出「抜け穴」ふさぐ 日本人への提供も規制 – 日本経済新聞 (nikkei.com)
日本企業成長の穴に、知的財産流出を防ぐ「5つの掟」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
経済を分断する「デカップリング」 米中摩擦で起きているのか?:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)
福島原発のALPS処理水排出に関し、日本からの輸入食品への検査強化示唆(中国、日本) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース – ジェトロ (jetro.go.jp)

経済の安全保障とイノベーションはジレンマから共創へ

経済の安全保障は、現代社会において重要なテーマです。経済の安全保障とイノベーションは、ときに相反する要求を抱えているかもしれません。このようなジレンマは、コロナパンデミックやウクライナ危機、米中摩擦などが背景にある経済的な危機や不安定さを増幅させています。一方で、このようなジレンマは、新たな価値や意義を生み出すための共創的な可能性も秘めています。

まず、経済の安全保障とイノベーションのジレンマについて考えます。経済の安全保障とイノベーションには、以下のような問題と可能性があります。

物資等の供給網の問題:
コロナパンデミックによって、世界的な物流や貿易が混乱し、医療用品や食料品などの物資の供給が不安定になりました。これは、経済の安全保障にとって重大な脅威です。一方で、イノベーションにとっては、物資の供給網を改善するための機会でもあります。例えば、ドローンや自動運転車などの新しい技術を使って、物資の配送を効率化したり、地域間の連携を強化したりすることはそれを示しています。

技術の流出等の問題:
ウクライナ危機や米中摩擦によって、国際的な政治的な緊張が高まりました。これは、経済の安全保障にとって重大な脅威です。一方で、イノベーションにとっては、技術の流出を防ぐための機会でもあります。例えば、暗号化やブロックチェーンなどの新しい技術を使って、データや知財の保護を強化したり、国内外の協力体制を構築したりすることができるでしょう。

次に、経済の安全保障とイノベーションの共創について考えます。経済の安全保障とイノベーションは、必ずしもトレードオフの関係ではなく、両立が可能です。

日本の高度経済成長期と現在の環境産業:
日本は、戦後から1970年代まで高度経済成長期を迎えましたが、その代償として公害問題に苦しめられました。当時は、公害対策にお金をかけることと利益はトレードオフと考えられていました。しかし、その後、日本は公害対策法や環境基本法などの制度や技術を整備し、環境問題に対応しながら経済発展を続けました。現在では、日本は環境産業やエコビジネスなどで世界的な競争力を持ちます。これは、経済の安全保障とイノベーションがトレードオンであることを示すことにも通じます。

ソーシャル・イノベーション:
ソーシャル・イノベーションとは、社会的な課題やニーズに応えるために新しいアイデアやサービスや組織を生み出すことです。ソーシャル・イノベーションは、経済の安全保障とイノベーションが共存可能であることを示す理論です。ソーシャル・イノベーションは、市場や政府だけでは解決できない問題に対して、市民やNPOや企業などが協働して取り組みます。ソーシャル・イノベーションは、社会的な価値を創造するとともに、経済的な価値も生み出します。例えば、マイクロファイナンスやフェアトレードやシェアリングエコノミーなどは、ソーシャル・イノベーションの事例です。

このように、経済の安全保障とイノベーションは、ジレンマから共創へ変化しています。この変化をさらに実現するためには、地震や自然災害などでのサプラーチェーンの維持など、普段から国や自治体の間で深め、政策を切磋琢磨しながら、企業や大学、市民、その他の主体によるイノベーションと協力関係があって成立するものです。そして、「経済安全保障」は非日常時だけでなく、日常時から備えていくことが重要であり、それが経済のレジリエンス(強靭化)につながります。経済の安全保障とイノベーションは、互いに排除するものではなく、互いに補完するものであることを忘れてはなりません。

経済の安全保障とイノベーションの未来は、変化や課題に満ちています。より良い未来を切り開くためには、多様なステークホルダーが参加するプラットフォームやダイアログを構築し、共通の目的や価値観を明確にし、協力的なソリューションを探求することが必要でしょう。経済の安全保障とイノベーションの未来は、私たちに新たな挑戦の機会を与えてくれます。

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