第7回は、「人間の安全保障」のためのイノベーションについてお伝えします。「安全保障」と聞くと軍事や国防を連想しがちですが、賢慮の学校では、「人間の安全保障」「食の安全保障」「エネルギーの安全保障」「経済の安全保障」「次世代の安全保障」「グローバルの安全保障」…と、分野別に安全保障について論じていきます。多様な分野を知ることで、多重視点を身につけていきます。現在、多くのイノベーションは“well-being(ウェルビーイング)”という視点で進められていますが、根本の安全や生命の安全があってこそのwell-being(ウェルビーイング)です。安全保障なくして、well-being(ウェルビーイング)もhappiness(ハピネス)もありません。賢慮の学校は空想的well-being(ウェルビーイング)ではなく、実態の伴うwell-being(ウェルビーイング)を目指したいと思います。
人間の安全保障とは
「人間の安全保障」とは、人々が「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を享受できる状態を指します。この概念は、1994年に国連開発計画(UNDP)が発表した『人間開発報告書』で提唱されました。人間の安全保障は、国家や領土の安全保障だけではなく、個人や社会の安全保障も重視するという考え方です。
国家や領土の安全保障は、国際的な紛争や侵略から国家の主権や領域を守ることですが、国家や領土の安全保障が確保されていても、個人や社会の安全保障が確保されていなければ、人々は自由に生きることができません。例えば、国家が独裁的で人権を侵害したり、社会が差別や不平等で満ちていたりする場合、人々は恐怖や欠乏に苦しむことになります。
人間の安全保障は、人々が生きるために必要な基本的なニーズを満たすことができる状態を目指すもので、そのためには健康、食料、水、環境、教育、雇用、人権などの分野で、人々の機会や能力を向上させる必要があります。これらの分野は、「人間の安全保障の7つの柱」と呼ばれます。
人間の安全保障と潜在能力アプローチ(ケイパビリティ・アプローチ)
人間の安全保障について語る上で欠かせないのが、「ケイパビリティ・アプローチ(潜在能力アプローチ)」という考え方です。この考え方は、インドの経済学者、哲学者であるアマルティア・セン(Amartya Sen)によって提唱されたもので、人間の「自由」を実現するためには、与えられた「財」を活用する「ケイパビリティ(能力)」を高める必要があると主張します。
ここでいう「財」とは、与えられた自由や権利のことです。例えば、参政権などの政治的な権利や、福祉や公共サービスなどの社会的な権利、教育を受ける権利などです。「ケイパビリティ」とは、財を活かす能力のことです。例えば、教養や知識、健康状態などです。「自由」とは、それらの結果として享受できる生活や人生の選択肢の範囲です。
潜在能力を構成する「機能」はさまざまな財から転換されてくるものですが、「機能」とは、所有する財とその特性を用いて人は何をなしうるかという、人間の基本活動のことを意味します。人間が望むように生きるために必要な諸活動や状態、即ち機能の組み合わせを選択していくことによって、人間の能力(ケイパビリティ)が明らかになってくるとされます 。
つまり、「潜在能力」とは「機能」を選択する自由度です。なお、センは、自由を奪うということで、これらをリスト化すべきではないとも主張していることも留意する必要があるでしょう。アマルティア・センの考え方に従えば、イノベーションは、人々が自分の価値観や目標に沿った生活を選択できるようにすることで、人間の尊厳や幸福を高めることができる手段です。イノベーションは、人々が自分の生活において実現したいと思う機能(何かをすること)を選ぶ自由や、その機能を実現しない自由も含めて、自由な生き方の可能性を助けるものです。イノベーションにより「潜在能力」を高めることで、人間の尊厳や幸福を実現することができます。
人間の安全保障とジェンダー
アマルティア・セン(Amartya Sen)は、潜在能力アプローチのなかで、ジェンダーの問題を取り上げました。
ジェンダーは、生物学的な性別に基づいて社会的・文化的に構築された男性性や女性性のことです。これまでジェンダーは、人々の役割や権利や機会に影響を与えてきた重要な要因でしたが、今改めてジェンダー論が問われています。ジェンダーによって、不平等や差別や暴力が生じることもあります。女性や多様な人々は、ジェンダーに基づく脅威や危機にさらされることも少なくありません。
人間の安全保障とジェンダーとの関係は、以下のような点で重要です。
・人間の安全保障は、女性や多様な人々の安全保障でもあります。女性や多様な人々は、貧困や暴力や災害などによって「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」「尊厳を持って生きる自由」が侵害される可能性が高い。そのため、人間の安全保障を実現するためには、まずは女性や多様な人々のニーズや声を聞き入れることが必要です。
・人間の安全保障は、ジェンダー不平等や差別や暴力を解消することを目指します。ジェンダー不平等や差別や暴力は、人間の安全保障を脅かす原因でもあります。例えば、武力紛争下では、女性への性暴力が戦争の武器として使われることがあります。このような暴力は、「恐怖からの自由」だけでなく、「欠乏からの自由」や「尊厳を持って生きる自由」も奪います。したがって、人間の安全保障を達成するためには、ジェンダー不平等や差別や暴力を根絶することが必要です。
このように人間の安全保障とジェンダーとの関係は、多面的で密接なものです。人間の安全保障とジェンダーについて学ぶことは、より安全で、生活と人権を重視した社会を作ることにつながります。
・人間の安全保障は、女性や多様な人々の参画を促進します。これまでは女性や多様な人々は、人間の安全保障に関わる意思決定過程に十分に参加できていませんでした。しかし、女性や多様な人々は、自分たちの経験や知識を持っており、人間の安全保障に貢献できます。例えば、国連安全保障理事会決議1325号は、「女性・平和・安全保障」に関する画期的な決議であり、武力紛争下における女性への暴力の防止や、平和の維持・構築のプロセスにおける女性の参画を促すことを掲げています。このように、人間の安全保障を実現するためには、女性や多様な人々の参画を促進することが必要です。
人間の安全保障とwell-being(ウェルビーイング)
つまり、人間の安全保障は、ニーズ(平和や人権の維持・安全保障)と自由(well-being)の微妙なバランスで成り立っています。
人間の安全保障とwell-being(ウェルビーイング)は、密接に関係していますが、その捉え方には大きな違いがあります。人間の安全保障は、主に「欠乏・不足」を中心としたネガティブな思想が前提となっており、生存や自由などの基本的な権利や生活のためのインフラを保障することを目的としています。一方、well-being(ウェルビーイング)は、「幸福・健康」を中心としたポジティブな思想が前提となっており、人々が自分らしく生きることや自己実現することを目指しています。前提や重視していることに差や矛盾があるわけですが、両立は可能です。なぜなら、この両方が人々の生活の質や幸福度に影響するからです。
人間の安全保障とwell-being(ウェルビーイング)の差や矛盾をなくすためには、後述する社会関係資本がキーとなります。社会関係資本とは、人々が互いに信頼や協力を築くことで生まれる社会的な資源です。社会関係資本は、人々の絆や連帯感を高めるだけでなく、社会的な問題やリスクに対処する能力や機会も提供します。社会関係資本が高まることで、人々は自分だけでなく他者や社会にも貢献することができるようになります。
人間の安全保障は、社会関係資本の増加によって”well-being”の増大につながっているといえます。
人間の安全保障と社会関係資本
社会関係資本とは、“ソーシャル・キャピタル”ともいい、ロバート・パットナム(アメリカの政治学者、ハーバード大学ケネディスクール教授)によって提起された人と人の関係性を資本として捉える考え方で、個人間のつながりを持つことで社会の効率性を高めることができる「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会的仕組みの特徴を指します。社会関係資本は、人的資本や心理的資本と並び、働く上で役立つ力として注目されています。
社会関係資本には、「内部結束型」と「橋渡し型」があります。「内部結束型」は、昔ながらの団結力や紐帯の強い共同体であり、同じグループ内の人々との信頼や協力を高めることができます。しかし「内部結束型」だけでは、グループ外の人々との関係が希薄になり、偏見や排他性が生じる可能性があります。そこで近年は、「橋渡し型」が注目されています。「橋渡し型」は、異なるグループ間の人々とのつながりを持ち、多様な情報や知識を共有することができる基礎であり、マーク・グラノヴェッター(アメリカの社会学者、スタンフォード大学社会学部教授)のいう“弱い紐帯”とも関連しています。「橋渡し型」は、新しいアイデアやイノベーションにつながるだけでなく、社会的包摂や寛容さも促進することができるでしょう。
この社会関係資本と人間の安全保障は、密接に関連しています。社会関係資本が豊かであれば人々は互いに協力し、支え合い、信頼し合うことができます。これにより、社会的な脅威に対処する能力や回復力が高まるでしょう。また、社会関係資本は、多様な価値観や文化を尊重し、対話や交流を通じて理解を深めることにも貢献します。これにより、紛争や差別を防ぎ、平和や共生を促進することができます。
一方で、社会関係資本が乏しい場合は、人々は孤立し、不信感や敵対心を抱くことになります。これにより、社会的な脅威に対応する能力や回復力が低下し、紛争や差別が増加するリスクが高まります。また、社会関係資本が乏しい場合は、多様性を認めず、対話や交流を拒否することにもなります。これにより、平和や共生を妨げることになります。
したがって、社会関係資本は人間の安全保障にとって欠かせないものです。しかし、現代の社会では、グローバル化やデジタル化に伴う変化や人間関係の不安定さにより、社会関係資本が減少している傾向があります。これは人間の安全保障にも悪影響を及ぼすでしょう。
人間の安全保障においても、「橋渡し型」の社会関係資本が重要な役割を果たします。「橋渡し型」の社会関係資本は、社会経済システムの変革につながる、トランスフォーマティブ(研究・教育・社会的価値の新しいパラダイムへの移行に導けるよう)なエージェンシー(関係主体)を生み出します。エージェンシーとは、内省しつつ自らの状況を改善するために行動する能力や意志です。エージェンシーを持つ人々は、自分たちだけではなく他者や社会にも貢献することができます。
ここで注目したいのが「地球上のすべての生命体が対等である」という基本原則に基づき、「地球市民」(グローバル・シチズン)として行動する「地球民主義」です。これに関しては別稿で触れますが、地球民主義的な考え方は、「連帯」というキーワードにも通じます。連帯とは、自分たちだけでは解決できない問題に対して共通の責任を負い、共通の目標に向かって協力することです。
日本人初の国連難民高等弁務官となり、人道支援に尽力した緒方貞子さんは、地球民主義にも通じる理念や活動を展開しました。緒方さんは、深刻な難民危機が相次ぐ中で、「何も持たず、身を守る手立てもない」人々を守るために情熱を捧げた人です。緒方さんは、難民の声を聞き、地域の政治指導者たちと交渉し、国際社会に働きかけることで、人間の安全保障を実現するために尽力しました。緒方さんは、「結局のところ、一番大事なのは人間です」と述べています。
緒方さんの言葉は、「社会関係資本」の構築の重要性にも通じます。社会関係資本を高めるには、日頃から豊かな人間関係構築のための工夫を地道に続けることが大切です。企業や組織では、公式・非公式を問わず、メンターや勉強会、社内イベントなどを通じて社員同士のつながりを強化することができます。個人や市民では、ボランティア活動やコミュニティ活動に参加して地域社会との結びつきを強めることができます。交流活動が活性化すると社会関係資本が蓄積され、社会関係資本が豊かであれば活動がさらに促進されるという好循環があることもわかっています。
社会関係資本と人間の安全保障は、互いに影響し合うものです。社会関係資本は、センのいう、「潜在能力」を構成している「機能」を生成させます。したがって、社会関係資本が豊かであれば、人間の安全保障が向上します。人間の安全保障が向上すれば、社会関係資本も増加します。私たちは、地球民主義的な考え方と連帯の精神を持ち、社会関係資本を高めることで、人間の安全保障を実現することができます。
人間の安全保障とイノベーションの関係
このように人間の安全保障とは、前述のとおり国家や領土の安全ではなく、個々の人間が生きるために必要な基本的な権利や自由を保障することを目指す考え方です。人間の安全保障は、貧困や飢餓、病気や暴力などの社会的な脅威に立ち向かい、SDGsを達成するために重要な概念です。
人間の安全保障を実現するためには、イノベーションが重要な役割を果たします。イノベーションは、人々の生活の質を向上させるだけでなく、さまざまな脅威に対処する能力を高めることができます。これはSDGsとも関係しており、人間の安全保障とSDGsは相互に補完的な関係にあります。
イノベーションは、前述の「人間の安全保障の7つの柱」の分野で、多くの貢献をしています。例えば、医療技術やバイオテクノロジーは、感染症や慢性病などの健康問題に対処することができます。農業技術や遺伝子組み換え作物は、食料生産や栄養改善に役立つでしょう。水処理技術や再生可能エネルギーは、水資源やエネルギー資源の確保や環境保護に寄与します。情報通信技術(ICT)やAIは、教育や雇用の機会を拡大し、人権や民主化を促進する可能性を秘めています。
一方でイノベーションは、人間の安全保障に関する課題を解決するだけでなく、新たな課題を生み出してしまうこともあります。例えば、核兵器や生物兵器は、大量破壊やテロリズムの脅威を高めます。遺伝子操作やナノテクノロジーは、倫理的や社会的な問題を引き起こすでしょう。ICTやAIは、プライバシーやセキュリティの侵害やデジタル格差の拡大をもたらしてしまうかもしれません。しかし、それを実行するの人間であるということに留意する必要があります。
したがって、人間の安全保障とイノベーションの関係は、単純な因果関係ではなく、相互作用的で動的な関係です。人間の安全保障を実現するためには、イノベーションの利点とリスクをバランスよく評価し、適切な規制やガバナンスを行う必要があるのです。
人間の安全保障に関する課題とイノベーションの貢献
人間の安全保障に関する課題は、地域や国によって異なりますが、共通するものもあります。例えば、気候変動や自然災害は、世界中で人々の生命や財産を脅かしています。貧困や格差は、人々の尊厳や平等を侵害しています。紛争や暴力は、人々の平和や安定を妨げています。また、女性の人間開発は、人間の安全保障という視点からも重要な課題です。女性が教育や就労などの機会を得られない場合、その国や地域の発展にも悪影響を及ぼします。女性の教育をめぐる現在のタリバン政権下でのアフガニスタンを見れば、地球民としての女性に対する「教育」は人間の安全保障の基本であることは明らかではないでしょうか。
イノベーションは、これらの課題に対しても解決の可能性を秘めています。例えば、気象衛星や地震計は、気候変動や自然災害の予測や監視に役立ちます。モバイルマネー(スマホなど電話番号と紐づいてるSIMカードで決済することやマイクロファイナンス(貧困層や低所得者向け小口金融サービスの総称)は、貧困や格差の緩和に効果があるでしょう。平和維持部隊や人道支援団体は、紛争や暴力の被害者に救援や保護を提供します。さらに、女性向けの教育プログラムや職業訓練などは、女性の人間開発を促進します。
イノベーションは、人間の安全保障に関する課題に対処するためには、単独で行うのではなく、多様な主体や分野と連携する必要があります。気候変動や自然災害に対応するためには、科学者や技術者だけでなく、政策立案者や市民社会も参加しなければ対応できません。また貧困や格差を解決するためには、経済学者や開発専門家だけでなく、社会学者や人文学者も協力する必要があります。そして女性の人間開発を推進するためには、男女双方が役割を果たす必要があります。
人間の安全保障におけるイノベーションの課題と展望
人間の安全保障におけるイノベーションの課題として、以下のようなものが挙げられます。
イノベーションのアクセスや利用における不平等や不公正な状況:
例えば、新興国や女性や少数民族などは、イノベーションの恩恵を受けにくい場合があります。
イノベーションの創出や普及における社会的な受容性や適合性の欠如:
例えば、伝統的な価値観や信仰とイノベーションが衝突する場合があります。
イノベーションの影響や結果における倫理的や法的な問題や責任の不明確さ:
例えば、人工知能やロボットが人間の代わりに判断や行動をする場合があります。
人間の安全保障におけるイノベーションの展望として、以下のようなものが期待されるでしょう。
イノベーションのアクセスや利用における平等や公正な状況の確保:
例えば、開発途上国や女性や少数民族などにもイノベーションの機会や能力を提供することです。
イノベーションの創出や普及における社会的な参画や協働の促進:
例えば、科学者や技術者だけでなく、一般市民や利用者もイノベーションのプロセスに関与することです。
イノベーションの影響や結果における倫理的や法的な規範やガイドラインの策定:
例えば、人工知能やロボットが人間の尊厳や権利を尊重することです。
日本における人間の安全保障と科学技術イノベーションの取り組み
日本も、人間の安全保障とイノベーションに関する取り組みを行っています。例えば、日本政府は、2013年に「科学技術イノベーション基本計画」を策定しました。この計画では、「科学技術イノベーションが社会課題解決に貢献し、持続可能な発展と国民の幸福向上につながる社会」を目指すというビジョンが掲げられています。
日本政府は、このビジョンを実現するために「科学技術イノベーション戦略」を策定しており、この戦略では「持続可能な社会」「健康・長寿社会」「国際競争力強化」「地域活性化」などの分野で、科学技術イノベーション(STI)による社会課題解決や価値創造を推進する方針が示されています。また、政府は2023年から2027年までの5年間で30兆円、公的・民間セクター合わせて120兆円の研究開発(R&D)投資を行うという目標も掲げています。これは過去最高額であり、世界的にも類例の少ない規模です。
このように日本は、STIの分野で世界に先駆けたイノベーションを生み出し、社会的価値や経済的価値を創造することを目指しています。
イノベーションは、人間の安全保障に関するさまざまな分野で、多くの貢献や課題を持っています。人間の安全保障とイノベーションの関係は、単純な因果関係ではなく、相互作用的で動的な関係です。多様な主体や分野と連携する必要があるでしょう。
「イノベーションの利点とリスクをバランスよく評価し、適切な規制やガバナンスを行うこと」
「イノベーションのアクセスや利用における平等や公正な状況を確保し、不平等や不公正な状況を是正すること」
「イノベーションの創出や普及における社会的な参画や協働を促進し、多様な声や意見を反映すること」
「イノベーションの影響や結果における倫理的や法的な規範やガイドラインを策定し、責任や説明責任を明確にすること」
「イノベーションの影響や結果に対する人々の認識や評価を考慮し、well-being(ウェルビーイング)を高めること」
など、考慮すべき点もさまざまです。そのためには、賢慮の姿勢が重要になってきます。
このような考え方は、ELSIとRRIという概念によって表現されます。ELSIとRRIは、科学技術イノベーションと社会の関係を考えるための重要な手段です。ELSI(Ethical、Legal and Socialの頭文字)は、科学技術がもたらす倫理的・法的・社会的課題を事前に検討し、対処することを目的としています。当初は、「ヒトゲノム計画」がスタートでしたが、現在は、脳科学やナノテクノロジー、コンピュータサイエンスにも拡張してきています。RRI( Responsible Research and Innovation: 責任ある研究・イノベーション)は、社会が目指すべき価値や課題に応えるために、科学技術イノベーションを責任ある形で推進し、領域を超えた多様な観点で変革することを目的としています。
日本政府や研究コミュニティも、こうしたELSIやRRIに基づいた科学技術イノベーション政策や戦略を策定し、実践しています。RRIは目指すべき社会像や価値(観)からバックキャスティングで逆算して、我々の社会が直面している壮大な課題に挑戦するための手段として科学技術・イノベーションを据え、それを効果的に推進するために倫理的・法的・社会的側面に関わる検討や実践を要請することや、科学技術の研究開発のあり方そのものをそうした社会像や価値(観)に合致した、より好ましいものへと変革、転換しつつ発展させていく考え方です。例えば、「共創的科学技術イノベーション(Co-Creative STI)」という概念が提唱されています。これは、社会の課題や価値を明確にし、科学技術イノベーションの目的や方向性を社会と共有し、多様なステークホルダーが参画して協働することで、科学技術イノベーションを社会に適合させるとともに、社会を科学技術イノベーションに適合させることを目指すものです。この概念は、RRIの考え方を日本の文脈に適用し、発展させたものです。
また、「ELSI研究」や「RRI研究」という分野も形成されています。前者は、科学技術イノベーションがもたらす倫理的・法的・社会的課題や責任を、学際的な視点から分析し、評価し、対策することを目的としています。後者は、シーズベースの研究開発の成果を社会実装するだけでなく、ニーズベースで未来の社会課題から科学魏実を牽引していくことに寄与しています。これらの研究は、科学技術イノベーションのプロセスやアウトカムに関する知識や意識を高めることで、人間の安全保障とイノベーションの関係をより良いものにすることに貢献するでしょう。
このように、ELSIとRRIは、人間の安全保障とイノベーションの取り組みにおいて、科学技術イノベーションと社会の関係を深化させるための有効な手段です。日本は、ELSIやRRIに基づいた科学技術イノベーション政策や戦略を策定し、実践しています。しかし、それだけでは十分ではありません。科学技術イノベーションは常に変化し、新たな課題や責任を生み出します。そのためには、社会全体がELSIやRRIの考え方を理解し、共有し、実践することが必要です。人間の安全保障とイノベーションの取り組みは、私たち一人ひとりが関わることです。そして、様々な分野の領域の人々が同じテーブルを囲んで議論し、協働や共創につなげていくことが肝要となります。
出典・参考:
人間開発報告書室、2021年における「人間の安全保障」のあり方を再考 | United Nations Development Programme (undp.org)
人間の安全保障〜持続可能な開発を推進するための日本の避雷針〜 | United Nations Development Programme (undp.org)
「人間の安全保障」とジェンダー研究
【センのケイパビリティとは】議論のポイント・注意点をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)
【ケイパビリティ・アプローチを簡単に】センが注目した潜在能力を分かりやすく どさんこ北国の経済教室 (kitaguni-economics.com)
『新時代の「人間の安全保障」』(視点・論点) NHK解説委員室
第48回総合科学技術・イノベーション会議 (cao.go.jp)
「人間の安全保障」が一大テーマに、CES 2023が示す世界のテックトレンド | Japan Innovation Review powered by JBpress (ismedia.jp)
ELSIからRRIへの展開から考える科学技術・イノベーションの変革 政策・ファンディング・研究開発の横断的取り組みの強化に向けて(—The Beyond Disciplines Collection—)|戦略提案・報告書|研究開発戦略センター(CRDS) (jst.go.jp)
ELSIとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD